一旦技術が失われると、取り戻すのは大変なのよ。

2000年前に、古代ローマ帝国では、庶民が6階~10階建てくらいの
コンクリートマンションで生活していたが、
それから1000年後のヨーロッパ庶民は、掘っ立て小屋に住んでいた。

サターンロケット・アポロ宇宙船は、超技術であり、オーパーツ。
技術の承継が無ければ、ゼロからやり直すしかない。

もしあのまま、シャトルに進まずに、アポロ計画を進化させていれば、
今頃何十人もの人間が、月面基地で生活していただろう、と言われる。

 一般的に、ものごとがストレスになるのは、強制されているとき、あるいは抜け出せないときです。つまり、ゲーミフィケーションがゲームとして機能するのは、プレイヤーが自主的にプレイに参加しているときです。

 このことを理解する必要があります。中身としてはどんなに面白いゲームソフトであっても、もし誰かに強制されてプレーしていたとしたら、本質的にはゲームをしているとは言えないのです。

 ゲーミフィケーションを機能させるには、仕組みと雰囲気作りが大切です。まず、プレーしたい人が気持ちよく続けられる。かつ「もう止めたい」という人はやめることができる、あるいは別のオプションを選択できる。このような仕組みが必要でしょう。

 ある塾が、生徒の学習プロセスにiPadを使ったゲーミフィケーションの仕組みを導入しようとしています。 生徒にとって押しつけがましくない仕組み、あるいは「やってみたい」という自主性が維持できる雰囲気が醸成できれば、成功するでしょう。けれども「ゲームで成績が良くなかった生徒には宿題が増える」といったことになると、たぶん難しい。

(Source: tesc0value)

わたしは年のせいでもうほとんど目が見えません。一九一五年にわたしの目が世界に向って開いたとき、ヨーロッパのすべての国をはたがいを皆殺しにしようとしていました。どの国も自分の国にその権利があると思っていたのです。第一次世界大戦のことも少し覚えています。わたしにとって、その記憶は悲しい気持ちと悲劇に包まれたものです。ええ、家族も戦争で大変な目にあいました。一九一五年にイタリアが参戦したのを覚えています。わたしは四歳で、戦争の間中ずっと怯えていました。
わたしの目がほとんど閉じられてようとしているいま、わたしはその最後の光で、ヨーロッパの国々がたがいに抱き合い国境を忘れようとしているのを見ています。人生、ほぼ九十年目にして方向転換が起こったのです。いまでも信じられません。でもわたしは、それがどれほどむずかしいことだったかは知っています
「~はよくない」「~は悪い」という否定的な発言に対して、「なぜそう思うのか」と質問をします。この質問の答えが批判となります。否定のみで具体的な理由がないものは、批判するところがないのと同じです。
日曜日考えたやつは神
編集者やライターのみなさま。テキストをデザイナーに渡す時は文字を打っただけのファイルでOKです。ワードで様々な位置調整のスペースを入れたり、図版を貼り込んだり、コラムを本文の横に段組レイアウトしたり、文字詰めに合わせて改行したりは要りません。本当に要りません…

気力が湧かない時、人は本当に無力になる。これは、本当にどうしようもないことだ。といっても、わからない人にはわからないだろうが。
 ある人々は、気分について、自分次第でどうにでもなるものだと考えている。
 背の高さや足の速さは生まれつきの性質で、本人の努力ではどうにもならない。が、気分は、本人の気の持ちようでどうにでも変えることができる。そういう意味で、気分に甘えて何もしない人間は、要するに誠意が無いのだという道筋で、彼らはものを考えている。

 だから、そういう人たちは、「無理というのは嘘吐きの言葉なのです」てなことを言う。
 興味のある人は、この台詞でググってみてくれ。この社長は、どんなに無理に見えることでも、強制的にやらされて、結果としてやり遂げた地点から振り返ってみれば無理ではなくなっているという意味のことを言っている。すなわち彼は、雑巾を絞るみたいにして、人間から気力を搾り出すことが可能だというふうに考えているわけだ。

 違うぞ。
 気分が乗らないと何もできないということがまず最初にある。
 その上で何かに取り組む時に、その人間の「全力」が、当面、どの程度の力加減であるのかということが個別に導き出されるという、そういう話なのだ。われわれからすれば、火事場でもないのに馬鹿力を出している人間は、馬鹿なのである。

あのね、ま、言いづらい話なんですけど、 世の中には「頭のいい人になりたい人」というのが すごくたくさんいてね、多くの場合、 その人たちが迷惑をかけるんですよ。 なぜかというと、頭のいい人になりたい人たちは、 すごく頭のいいことを考えて、 みんながそれに従えば 世の中がよくなると思ってるんです。 で、法律や、決まりや、 マニュアルをたくさんつくる。 それに従えば幸せがやってくると思って。 「1、こうするといいぞ」とか、書くんです。 でも、みんなは、頭のいい人の思惑を外れて、 「えっと、4番はなんでしたっけ?」とか、 「俺、じつは読んでないんですよ」とか、 「まぁ、いいじゃないですか」とか言うわけです。 そうすると、頭のいい人になりたい人たちは、 「どうして大衆ってバカなんだろう」って もう、涙を流しながら思うんです。 「だから戦争が起こるんだ」とか言うんです。 でもね、彼らが言うようなことが、 世の中を変えたことは一度もないんですよ。 まあ、変える手伝いくらいにはなるにしても、 本当になにかを変えるようなものっていうのは、 「こっちのほうが美味しかったぞ」とか、 「つかってみたら便利で、もう戻れないや」とか、 そういう「事実が先に突っ走ったこと」ばかりで、 決まりやルールは、あとからできるんです。 で、宮本さんがやってる方法というのも、 そういうことだと思うんですよね。 まずは事実を先に動かしてしまう。 それがないと、ことばもまとめられないから。 最初の『マリオ』のころからそうでしょう?