2000年前に、古代ローマ帝国では、庶民が6階~10階建てくらいの
コンクリートマンションで生活していたが、
それから1000年後のヨーロッパ庶民は、掘っ立て小屋に住んでいた。
サターンロケット・アポロ宇宙船は、超技術であり、オーパーツ。
技術の承継が無ければ、ゼロからやり直すしかない。
もしあのまま、シャトルに進まずに、アポロ計画を進化させていれば、
今頃何十人もの人間が、月面基地で生活していただろう、と言われる。
一般的に、ものごとがストレスになるのは、強制されているとき、あるいは抜け出せないときです。つまり、ゲーミフィケーションがゲームとして機能するのは、プレイヤーが自主的にプレイに参加しているときです。
このことを理解する必要があります。中身としてはどんなに面白いゲームソフトであっても、もし誰かに強制されてプレーしていたとしたら、本質的にはゲームをしているとは言えないのです。
ゲーミフィケーションを機能させるには、仕組みと雰囲気作りが大切です。まず、プレーしたい人が気持ちよく続けられる。かつ「もう止めたい」という人はやめることができる、あるいは別のオプションを選択できる。このような仕組みが必要でしょう。
ある塾が、生徒の学習プロセスにiPadを使ったゲーミフィケーションの仕組みを導入しようとしています。 生徒にとって押しつけがましくない仕組み、あるいは「やってみたい」という自主性が維持できる雰囲気が醸成できれば、成功するでしょう。けれども「ゲームで成績が良くなかった生徒には宿題が増える」といったことになると、たぶん難しい。
(Source: tesc0value)
わたしの目がほとんど閉じられてようとしているいま、わたしはその最後の光で、ヨーロッパの国々がたがいに抱き合い国境を忘れようとしているのを見ています。人生、ほぼ九十年目にして方向転換が起こったのです。いまでも信じられません。でもわたしは、それがどれほどむずかしいことだったかは知っています
気力が湧かない時、人は本当に無力になる。これは、本当にどうしようもないことだ。といっても、わからない人にはわからないだろうが。
ある人々は、気分について、自分次第でどうにでもなるものだと考えている。
背の高さや足の速さは生まれつきの性質で、本人の努力ではどうにもならない。が、気分は、本人の気の持ちようでどうにでも変えることができる。そういう意味で、気分に甘えて何もしない人間は、要するに誠意が無いのだという道筋で、彼らはものを考えている。
だから、そういう人たちは、「無理というのは嘘吐きの言葉なのです」てなことを言う。
興味のある人は、この台詞でググってみてくれ。この社長は、どんなに無理に見えることでも、強制的にやらされて、結果としてやり遂げた地点から振り返ってみれば無理ではなくなっているという意味のことを言っている。すなわち彼は、雑巾を絞るみたいにして、人間から気力を搾り出すことが可能だというふうに考えているわけだ。
違うぞ。
気分が乗らないと何もできないということがまず最初にある。
その上で何かに取り組む時に、その人間の「全力」が、当面、どの程度の力加減であるのかということが個別に導き出されるという、そういう話なのだ。われわれからすれば、火事場でもないのに馬鹿力を出している人間は、馬鹿なのである。
